昭和 49年 ( 1974年 ) 7月, 専修大学神田校舎で開催された第 42回日本統計学会大会の研究報告会, 共通テーマ「統計教育」の会場において, この種の問題に対する継続的な活動の要望が出された. それを受けて同年 10月に開催された学会の評議員会において, 会則 22条にもとづく委員会を設けることを決定, 委員会の名称を「統計教育推進委員会」とし, 委員長に松下嘉米男氏を推した. 同年 10月設立と懇談会開催通知を有志会員に発送, 同月懇談会が統計数理研究所で開かれた.
昭和 50年 ( 1975年 ) 6月発行の学会会報 5号で, 上記の設立にいたる経緯や会員名は掲載された. なお, 上記の会合以後, 委員会は問題点把握のために, 会員の自由参加のかたちで懇談会を 3回もった. 同年 7月, 名古屋大学における第 43回大会の前日, 名古屋王山会館で統計担当の高等学校教諭と統計教育の討議が 3報告を中心におこなわれ ( 要旨は日本統計学会誌 vol. 研究発表要旨参照のこと ) , その結果, 専門家養成のための統計教育, 小中高および大学教養程度までの統計教育, 官庁統計の技術者や教員の再教育を含んだ社会人に対する統計教育など, 各問題ごとに研究の必要性が提案された.
昭和 51年 ( 1976年 ) 会報 6号で委員会の状況が報告された.
昭和 57年 ( 1982年 ) 度を含めた当初の委員会当時の出席者は以下のような顔ぶれであった.
昭和 58年 ( 1983年 ) 頃から統計小事典編纂の討議に入る.
昭和 60年 ( 1985年 ) 岡山大学における第 53回大会の際に, 岡山地方の小, 中, 高等学校の教師と統計教育に関する懇談会を開催した.
昭和 61年 ( 1986年 ) , 第 54回統計学会大会において, 共通テーマとして統計教育におけるソフトウエアの利用がとりあげられることとなった. 理由としては, 従来, 統計解析用のソフトウエアは数多く公表, 市販されているが, 統計教育を目指して開発されたものがきわめて少ないので, 既存のものをどのように活用したらよいか, またどのようなソフトを開発すべきかを論じるためである.
なお, 推進委員会は昨年度に引き続き, 高校の先生を対象とした「統計用語辞典」および「確率統計教授用資料」の作成作業を行っていて, 今年度はこれまで 2ヶ月に 1回の割合で計 8回の委員会を開催した.
統計教育推進委員会の委員長は当初以来から松下嘉米男氏が, 事務局は 藤本 煕, 松原 望, 村上 征勝 の 3氏が担当し, 毎月の研究会は総務庁統計局, 統計数理研究所で開催された.